« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

2010/08/26

ジュラの命日そして熊ビブリ

タンだす。
よほどのことがない限り、もう書かないと宣言していたのに、あえなく撤回です。
なぜなら、今日8/26はジュライの命日だからです。

ジュラがお星様になっちゃってから、早くも2年が経ちました。

その間最大の喜びはジューンが我が家に来てくれたこと。そして、悲しみはもちろん、メイちゃんがジュラの面倒を見に虹の橋を渡って行っちゃったことです。

先日の土日には、熊出現騒動のため、出動が危ぶまれましたが、車中一泊で、メイとジュラも連れて、ビブリに行ってきました。

100826

立ち入りエリアがかなり制限されたため、ビブリとは思えない高密度ぶりでした。

でもそもおかげで、ジューンはとなりに来ていた、ほんのちょっと年上のゴールデンの女の子ジョアちゃんと、兄弟たちとやるようなガウガウ遊びをひたすらやってもらいました。
我が家はどうしてもサイトに篭りがちになってしまうので、新しいお友達ができるいい機会になりました。

ついに、熊は現れませんでしたがそれは、メイがジュライやジューンを守ろうとする迫力に熊がびびったのかもしれません。

我々はメイとジュライの存在をたっぷり感じ、ジューンはひさびさのガウガウ遊びを堪能した二日間でした。

9月の連休までに熊シフトは解除されるのでしょうか。それとも今回がラストビブリになってしまうのでしょうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010/08/16

幻のビブリ行きその後。

ボクちジューンです。今年3回目のビブリに行ってきました。いつもは、到着すると、誰か先に来ていて、そこにおじゃましてましたが、今回は誰もいませーん。なので、うちだけで、静かに始まりました。

なんてね、行くことができなかったビブリレポートはこんな風に始まる予定でした。
行ってもいないのに、書き始めるんじゃなかった。

かみさんの日記を見て唖然としたが、もう2週間もたっていたのか。
その間何をしていたかと言えば、連続休暇を取っていたワシは、葬儀を挟んで、ただただ家に篭り、メイと会話をし、ジューンに癒してもらってました。

さすがに家に居るのも辛くなり、ジューンのアジ練に同行したり、連日のようにNに出かけて食事をしてました。

ジュラの時もそうでしたが、どこにいても辛いのは同じだから、せめて、ジューンを遊ばせてあげようじゃないか。という訳で、まずはビブリに一泊で行く事にしました。

と思ったら、なんと、ビブリの方の事情で、行けるかどうかわからなくなっちゃいました。今までビブリでご一緒頂き、メイをいつも可愛がって頂いた皆様、ほんとうにありがとうございました

またメイジュジュ家、特にジューンを宜しくお願いいたします。

もしも今回ビブリに行けなかったとしても、9月の連休時にはビブリに行く予定であり、8月最終週から、日帰りも含め4週連続でお出かけ予定です。
誘ってくれた、ジューンの兄弟たち、そしてアジ仲間のみんな、本当に感謝、感謝です。

こんど家に篭るときは、メイとジュラが出場したアジ大会を記録した8mmビデオをDVDにコピーしながら全て見てやる。その時は、かみさんに止められようとも、ジャックダニエルかワイルドターキーのボトルをかかえてロックで飲み干しちゃる。よほどのことがない限り、もうワシが登場することはないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/14

診断結果

メイジュラママの独り言。

メイが旅立って2週間が経った。
気を張っていたのかもしれないが、お葬式以後には止まっていた涙が数日前から急に止まらなくなった。

ジュラの時に言って貰った「泣きたいだけ泣けくのがいいんだよ。涙には浄化作用があるから」って言葉を思い出した。
メイの死を受け入れる準備が出来たのかもしれない。

そして昨日、開腹した時にメイの小腸からとった組織の病理検査の報告書が届いた。

診断結果:「ウィルス感染を疑う」

長い所見があったが、それは可能性をひとつずつ潰していったもので、腫瘍や細菌、パルボウィルスなどの可能性はないとの事だった。

コメントとして、「ロタウィルスをはじめとした、粘膜表層部を主な感染部位としたウィルス感染にみられる組織像といえますが、ウィルス封入体が確認されるなどといった、明らかな証拠はありません」とした上で、
「全身的な免疫機能の低下を背景に、ウィルス感染から、急激な出血性腸炎および腹膜炎へと発展し、急速な経過をとってしまったものと思われます。」と結ばれている。

どんなウィルスなのか、それが真の原因だったのかは曖昧なまま。(伝染性のものではないとの事です)。

免疫機能の低下については裏付けはなく、年齢によるものなどの推測からきているし、素因として元々あったのかもしれない、と先生に説明された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

死亡してしまった後の病理検査については、ジューンや他の子の体にも影響する原因があったとしたら、の不安があったので私から先生に申し出たのだが、先生は元気に来院したメイが弱っていくのを救えなかった事、次にメイのような急激な症状悪化の子を前にした時に救える道を探すため、との思いがあるため、病院から出させてくれと言って手配してくれた。

さらに治療費に関して、投与した血漿やステロイドなどの薬剤をはじめ、夜を徹しての治療にかかった費用は一切請求してくれなかった。
最初から最後まで誠心誠意、手を尽くしてくれた先生に深く感謝している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に、このブログを見て心配してくれていた方々に、メイがどんな経過だったかを報告として書き記そうと思う。

異変の始まりは7月29日木曜日夜。夕方の散歩で便が少しだけ緩かった。
夕飯は馬肉。夜中近くなってこれを吐いた。
メイ自身はいたって元気。しかし夜中に下痢便を出したため、金曜日の朝に病院に連れていった。

“この所、暑さのせいかこんな風に体調を崩す子が多い”と先生は言い、吐き気止めと健腸剤と腸にいいというドライフードを貰って帰る。
この間もメイはいつもと変わらず元気で、診察室でも「おやつよこしなさいよ!」と先生にねだりまくっていた。

午後から私は仕事に行き、この日から夏休みをとっていたタンが家でメイジューンと一緒にいた。
そしてメイはまた吐き、下痢をした。
夕方また病院に行き、今度は皮下注射をして、皮下点滴を投与。
メイがだるそうになってきた。

食欲がないが、病院の指示の通り、貰ったc/d缶を少しだけ無理やり口に入れた。メイはそれは吐きだすことなくされるがままだった。
夜中になりメイの水様便がひどくなり、何度か苦しそうに嘔吐。朝を待って、また病院に運んだ。

この時点で血液検査(一般、CBC、電解質)をお願いする。糞便パルボウィルス検査なども併せて行った。
午後になって結果が出たが、数値は全て正常値だ。高めのものもない。
しかし下痢が止まらず、ぐったりしているメイの様子がどうにもおかしいため、何かを誤飲した可能性を考え始めてレントゲンを撮る事にした。
画像では小腸の一部がかなり太くなっているが見てとれた。はっきりした異物は写っていないが布状のソックスのようなものが詰まっているように見える。
まさかメイがそんなものをと思うのだが、何かが巻きついて詰まった可能性がゼロとは言い切れない。
バリウムを入れながら再度撮影。そのバリウムが途中から流れなくなってしまい、この時点で腸で何かが詰まっていると判断、閉院後の夜7時から開腹手術を行う事になった。
基礎体力には自信のあるメイだったら大丈夫・・・この時はそう信じていた。

家で待機していると夜9時過ぎに電話が来た。
「腸に異物は何もありません。ただ、腸に点状の出血が無数に見られ、黄疸をおこしている箇所もあります」と言われる。原因はわからないままだが、かなり重篤な腸の状態に先生は動揺を隠せない。
タンと駆けつけて、麻酔から覚めたメイを励ます。
他の病院から血漿が届けられ、2人の医師によりステロイド、輸液とともにメイの体内に流しこむ治療が始まった。血漿を入れた事により、必ず回復すると励まされる。

メイの容態も落ち着いてきたので、医師は自分がついているから、私達はいったん家に帰って仮眠を取るように促された。11時半頃だった。

この後に生涯忘れない事が起きた。
私が家のベッドに寝ころんでウトウトしたこの時間に、メイが自ら我が家に帰って来たのだ。
くっつけたタンと私のベッドの間、メイが寝る時の定位置、そこに私ははっきりとメイの姿を見た。
愛用していた7seasのパステルカラーのボーダーTシャツを着て丸くなって寝ている。
驚いて何度も目をこらすと、それはジューンに姿を変えたのだが、間違いなくこの時、メイの魂は私達と一緒に住む家に帰ってきたのだと思う。
ジューンの体にメイが入り込んだ瞬間だったかもしれない。

電話が鳴ったのが午前3時。
メイの意識がはっきりしなくなってきたという。
また駆けつけ、横たわるメイに対して大好きなボールやディスクを振り回しながらひたすら撫で、声をかけ続けた。車に積んであったドッグベッドの上に寝かせた。
脳波、心電図、血圧は安定しているのだが、どうしても下血が止まらない。ステロイドがなんとか効いてくれ、点滴で体力が回復してくれないかと願うだけの、静かな闘いの時間だった。

夜を徹して治療は続いたが、朝8時半過ぎ、メイの心臓は静かに止まろうとしていた。
2名の医師と看護師により必死の救命措置が行われたが、8時40分・・・メイは逝ってしまった。

「もっと遊びを加減してあげてればよかった」
「かえってストレスが溜まってたよ」
「開腹したせいで体力を奪ってしまった」
「それで良くなったかもしれない、その時点ではそれがベストの判断だった。開腹したから腸が原因だった事がわかったんだし」
私が嘆き、タンがそれを否定する。そんな日々が続いた。

でもやはり張り切り過ぎをコントロールしてあげなかった事で、感染に打ち勝つ体を作ってあげられていなかった結果を、もっともっと生きていきたかったメイに対しての責任を、私は負わなければならない。

こんな日々の中、ジューンがなによりの慰めを私達にくれている。まだまだ幼いこの子に深く感謝したい。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2010/08/04

メイよ永遠にbyメイジュラママ

このたびのメイの急逝に際し、その死を悼み、私達を支えてくれた多くの友人に深く感謝します。
本当にどうもありがとございました。

タンにも少し急かされて、私からのメイへの想いを少しだけ書き残そうと思います。

ペットショップのレジ脇に置かれたサークル内にいた痩せっぽちのコーギー。そのメイを抱き上げた1999年の5月の出会いから、あっという間の11年間でした。

仕事での留守番は多かったけど、プライベートではほとんど何処に行くのも一緒、たくさんの場所を訪れ、たくさんの人に会いました。
過剰にフレンドリーで人懐っこいメイが人間に自分を撫でさせた回数は、生涯どれだけの数だったでしょう。よじ上った人の膝も数知れず!

何事においても自分の要求をしっかりと主張する子でした。
その性格に合わせ、アジでの私とメイのコンビの特徴、「送り出し」というスタイルでした。
私がメイを引っ張って行くのではなく、メイが私の前を走っていくスタイルです。強引な方向転換が必要な時には「コイ!」と大声で呼び寄せていましたが、その声を無視して自分の行きたい障害に突進して行った事が数知れず。

今回も最期の最期の肝心な時に、メイを呼び戻すことが叶いませんでした…。

先週の土曜日夜。
急な衰弱の原因を掴めぬまま、病院で夜を徹してメイの治療が行われました。

ずっと傍らに寄り添っていた私は、原因の発見のとっかかりになるかもしれないの一念で、どんな些細な事でも少しでも関係あると思えばメイについてのあらゆる話を先生に浴びせかけ続けました。

助っ人に駆けつけてくれた他の病院の先生には、メイの作ってくれた縁が強く繋がっていました。そんな縁もきっとメイを救ってくれると最後まで信じていたのですが。

治療中、ひとつだけメイにしてあげられたことは治療台の上に長年愛用してたドッグベッドを敷いてあげられたこと。冷たい思いだけはさせずに済みました。

亡くなったその日に、ビルベリーのエッシェンシャルが届きました。最近、メイの目が少し白くなってきたので、しばらく前から飲み始めていたブルーベリー酢ともにあげようと注文していたもの。
でもメイに必要なものはそんなものじゃなかった。
死なせてしまった自分を責める要素は、まだ確定ではないけどあれもこれもとあって、頭は上げられません。

でも一方で今、メイの永遠の旅立ちを迎えてもジュラの時と比べて意外とメソメソしない自分に、少し驚いています。

二人が一緒に暮らした日々(タンやジュラ、ジューンももちろんいますが)の濃さに、悔いがないと思えるからかなぁ。

大きな声で言うぞ。
目と鼻の丸の大きさが一緒だった可愛い顔、どんなに折ってもピンと立ち上がるビロードの手触りの「形状記憶耳」、耳の後ろの「撫でろ」ポイントである柔らかく深い毛並み、いつもその筋肉を褒められた短い脚とその上に続く、私の大好きだった小さな「メイ尻」。
どれもこれも大好き!

メイと過ごした日々を、何はともあれ胸を張って誇ります。
それこそが天晴れメイちゃんが私に残してくれたものです。
100804

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/08/03

最後の別れ

今日、メイと最後のお別れをしてきました。
大勢の方が駆けつけて下さいました。

今、改めてメイの存在の大きさを実感しています。

ワシが倒れた時、ジュラがお星さまになっちゃった時、我が家を支え、前に前にと進めていってくれたのがメイでした。
現在我が家が支えてもらっている方々は大きく分けて3つ、第一は近所のお散歩仲間を中心とした犬友達、第二ははアジリティーを通じて知り合ったアジ仲間のみんな、最後はNダイニングのマスター夫妻を中心とした常連客の方々、こうしたすべての人達と結び付けてくれたのがメイでした。メイが果たしてくれた役割をジューンに代わってもらうのは、酷というものです。

私たちは、メイが残していってくれたものを大切に継続し、ジューンには新たなリンクマンとして活躍していってもらいたいと思っています。

先程、メイが我が家に帰ってきました。
100803a

疲れてお腹もすいたので、Nへ行きました。
今日も会場に来てくれていたのに、我々を待ってくれてました。
さらに驚くことに、メイコーナーまでつくってくれていました。
100803b

皆様ほんとうにありがとうございました。これからもメイジュラジューン家(略してメイジュジュ家)をどうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/08/02

メイよ永遠にbyタン

100802

メイが虹の橋を渡って行っちゃってから、早くも24時間が経ちました。

昨日は知らせを知ったほんとに大勢の方から、メールや電話を頂き、また、わざわざ暑い中、お越し頂いた方から、メイは、たっぷり撫でてもらい、たっぷり話しかけていただきました。皆様ほんとうにありがとうございました。

メイの言葉が聞こえるようです「あたしメイ、まだまだもっと撫でていいよ」って。
メイの次にジューンもたっぷり遊んでもらい、こんなことを言われてました「もうメイ姉ちゃんいないから、ちゃんと一人前の男になるんだよ」ジューンはポカーンとしてました。
しかたないね。やっと帰ってきたと思ったら、ちっとも起きてこない姉ちゃんに戸惑い、何度も吠えてたんだから。

一段落着くと、メイへの想いが溢れてきます。幸せだっただろうか。あんな事してやればよかった。こんな事しなきゃよかった。そんな中2点ほど、
<その1>実はジュラが旅立っていった日、出勤の際に胸の中でつぶやきました。「行ってくるよ、もういいからゆっくり休め、がんばんなくてもいいよ」って、そしたらバカがつくほど素直なジュラは2時間後にあっさり逝っちゃいました。
こんな経験をしていたものだから、メイにはぜったい違う事を言うことにしました。アジ会場やビブリで響き渡った気合の一言「メイ!来いッ!」このコマンドはそこそこ効いていました。
しかしメイは出されたコマンドに対し勝手に判断するところがありました。「ちぇっ、しかたないな」と従うかと思えば。「エッ面倒くさっ」とスラロームを抜けたり、ハードルをパスしたり。今回は後者だったようです。
「エッ面倒くさっ、治療はパスして次行っちゃおう」ってか、しまった、メイのこの特性をうっかりしていた。

<その2>この前、因縁の8月なんていうバカなものを書いたおかげで、メイまで8月になるのを待っていたかのように、逝ってしまいました。
あ~あ。8月の神様も酷なもんだ。
メイの命を持っていくくらいなら、役に立たなくなったワシの左腕でも持ってってくれればよかったのに。また書いて、これも懲りてないように思いますが続けます。

ペットショップでの売れ残り期間を経て、生後5ヶ月でファーストドッグとしてまた、初めての娘として我が家にやって来たメイ、かれこれ、11年3ヶ月になります。
ジュラの時にも感じましたが、今回の喪失感・空虚感は半端ではありません。今一番気にしてあげなきゃいけないのは、ジューンとかみさんなのは分かってますが、なかなか難しいです。
ジューン、かーしゃんを頼むよ。
そしてメイ、ジュラの面倒でもみてやってくれ、きっと心強いと思うぞ。

何をするにも全力投球だったメイ、全力でアジッて、全力で遊び、全力で食べて、全力で寝てました。

今も遊び疲れて、爆睡しているようにしか見えません。

メイ!ずーっと忘れないよ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2010/08/01

悲しいお知らせです

不死身の鉄人だと思っていたメイが原因不明ですが、木曜夜に体調をくずし、あれよあれよという間に急死してしまいました(お腹の中には何も詰まってはいませんでした。)。
今朝の8時40分ごろでした。

病院からかみさんと一緒に帰ってきて、今は一家でいます。
ジューンともどもボンヤリしています。

もうすぐ11歳8カ月になる矢先のことでした。
無類の馴れ馴れしさで、多くの人に可愛がられ、愛されました。
メイを愛して下さった全ての人とワンコにありがとうです。
そして、メイありがとう、ジュラの面倒なんか見に行かなくてもよかったのに。

葬儀はジュライの時と同じ斎場、中之島の「多摩川ドグウッドクラブ」で8月3日(火)16時半より行うことにしました。
100801a_3 

100801b

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »